“Lullaby” from “The Consul” Gian Carlo Menotti オペラ「領事」より「子守歌」ジャン・カルロ・メノッティ

“Lullaby” from “The Consul” Gian Carlo Menotti オペラ「領事」より「子守歌」ジャン・カルロ・メノッティ

Here is the link of “Lullaby” from the Pulitzer winning opera “The Consul” by Gian Carlo Menotti (1950). The mother of a political activist, John Sorel, sings a lullaby to her dying baby grandson. Hope you enjoy the haunting melody and beautiful poetry.

ジャン・カルロ・メノッティのオペラ「領事」(1950年)より、政治活動家ジョン・ソレルの母親が瀕死の孫に歌う子守歌です。一度聴くとメロディーと詩が頭から離れなくなります!

「むごい運命よ」ロッシーニ作曲「アルジェのイタリア女」より 日本語付

「むごい運命よ」ロッシーニ作曲「アルジェのイタリア女」より 日本語付

むごい運命よ-ロッシーニ作曲「アルジェのイタリア女」

お気に入りのアリア「むごい運命よ」の録音に自作の翻訳を付けました。船が難破し、囚われの身となって窮地に立たされたイザベッラが突如開き直り、ここは女を武器にしてこの場を乗り切ろうと宣言する、めちゃくちゃながら楽しい場面です。同じくロッシーニ作曲「セビリアの理髪師」のロジーナよりも音域が低く、私には歌いやすく感じます。どちらも一見、保守的でおしとやかなお嬢様が、軽快なコロラトゥーラに乗って強さとやる気を見せていく、かわいらしい役柄です。

 

 

アンナ・ボレーナ Anna Bolena

アンナ・ボレーナ Anna Bolena

昨晩は、大好きなオペラ「アンナ・ボレーナ」の稽古に行った。ドニゼッティ作曲のこのオペラ、音楽的にはキャッチーで早い旋律も多く、ロッシーニによく似た感じがするのだが、そこまで軽くなくて、話もかなり暗い。けれども、例えば「セビリアの理髪師」がコメディとして笑わせることを趣旨として書かれているのに対し、ボレーナはあまりにも深刻で激しくて逆に笑いのツボにはまってしまい、第一幕のフィナーレではもうおかしくて笑いをこらえるのに一苦労する。王妃アンナのテンションが高まるほどに、なぜかおかしさも増す。

アンナ・ネトレプコのボレーナを録画で観た時は、彼女の内面に人の笑いを誘う独特の何かがあるのだろうかと深読みしてしまったが、私が歌っているグループでも同じだった。要は、アンナがすべてを出しきるほど、キャッチーでエキサイティングな音楽にのせて気持ちが高揚し、楽しさも増すのだろう。「やってくれた」、歌舞伎で言えば「待ってました」という気分になる。

私が歌うのは小姓なのか宮廷楽師なのかよく分からないが、メゾよりさらに低いコントラルトのスメトンという役で、”E sgombro il loco”という、王妃への秘かな思いを語った、なかなかおいしいアリアがある。「ファウスト」で青年ジーベルがアリア一曲でさらっていく感じに近いだろうか。だいたいの年格好と職業は「フィガロの結婚」のケルビーノと思えばいい。音域はぐっと低くなるが、装飾音で自由に上がったり下がったりできるので、案外と歌いやすい。

アンナや元恋人のペルシー、国王エンリコ、そして彼の心を奪う侍女ジョヴァンナがドロドロに濃い世界に入っていく中、スメトンは歌も役も軽めで、アンナと深い仲になるわけでもなく、大人の仲間に入りきれない感がある。彼も命がけなのに、少々痛い。それでも、この濃厚な世界を楽しみながら自分はアリアに専念すれば良いので、私としては隠れたもうけ役、とでも言いたくなるのだが、どうだろうか。逆にジョヴァンナは、メゾでありながらやたら高く、そして重めなので、少し苦しそうだ。同じくドニゼッティの「ロベルト・デヴェリュー」にも似たような感じのメゾ、サラだったか、あれも同じで、少なくとも今の私には絶対無理である。

興味深かったのは、ペルシーを歌っているテノールが、別の機会に「セビリアの理髪師」でアルマビーヴァ伯爵を歌っていた際、息を吹き返したように声が伸びやかになっていたことだ。話を聞いてみると、似たような音域でも、やはりペルシーの方が重くてきついのだそうだ。

ちなみにこのオペラは二幕物で、スメトンの出番は第一幕に集中している。第二幕もジョヴァンナが裏切りを告白し、王妃がそれを許す濃いデュエットをはじめ、主要人物の大半が死刑宣告を受けたり、アンナの気がふれてしまったりして、目が離せないはずなのだが、第一幕のフィナーレがあまりに強烈なためか、自分の出番が少ないためか、ついテンションが下がってしまう。

ともかくも、おすすめの作品です。

ヘンデルのオペラ Handel’s Operas

ヘンデルのオペラ Handel’s Operas

ヘンデルのオペラは私の声種に割と合っているようで、「アリオダンテ」は主役とポリネッソ、「アルチーナ」ではルッジェーロ、また「リナルド」はゴッフレードやエウスタツィオと、これまでいくつか学ぶ機会があった。同じヘンデルのメゾでも当然、音域はそれぞれ異なり、現在の私の声に一番合うのはリナルド、または「セルセ」のアルサメネ辺りではないかと思う。まだ歌っていないから、一縷の望みを託しているだけかもしれないが。

個人的には、アリオダンテは素晴らしいがやや高く(そして長い)、ルッジェーロとリナルド、アルサメネはちょうど良い感じ、一方でゴッフレードはやや低めで少々苦しいが、ポリネッソとエウスタツィオはさらに下がるので却って歌いやすくなる。ところが、「セルセ」のアマストレや「アルチーナ」のブラダマンテは低すぎるのか、突如、殺人的に歌いにくくなる。また、ソプラノ役だがメゾが歌うことも多いセルセは逆に高すぎて、これも知りたくない、という心境になる。まだ声も技術も定まっていないせいだとは思うが、自分の声に合う役を探すのは本当に難しい。

ところで、ヘンデルのオペラについて、以前から気になっていることがある。

ここ数年、私がオペラを勉強しているグループでは、ひとつの役を2、3人が交代で歌うのだが、ヘンデルのオペラに関しては、リハーサルやコンサートで、一部のソプラノ役を歌う歌手の声の響きが同化していくと言ったら良いのか、役が歌手の個性を超えて、歌手を取り込んでしまうかのように感じられた。歌手はミディアムに徹し、それも意図的というよりは自動的にそうなってしまうような。私の考え過ぎか、勘違いかもしれない。だが、誰が歌っても同じに聞こえる、というのとは違うように思う。「アリオダンテ」では侍女ダリンダ、「アルチーナ」では主役を歌うソプラノが、次々とあちらの世界に行ってしまった。そして、「リナルド」の魔女アルミーダはなぜかその傾向が特に強く、「ちょっとお嬢さん、憑りつかれてますよ!」とでも言ってあげたくなるような状況が頻発した。当然、毎回ではないし、全員ではないが、その度に「ああまた」という気分にさせられる。

アルミーダを始め、これらの役を歌う人達は大抵ものすごく上手なので、優れた技術とともにある意味、憑依する能力も高いのかもしれない。以前、神社で舞を踊っているという女性と少し話をした際、神降ろしがどうとか言っていたのを思い出した。オペラは娯楽のためのものだが、ヘンデルの音楽にそういう状況を誘発する何かがあるのか。誰か詳しい人にいつか意見を聞いてみたい。そんな人、いないかもしれないけれど。