イル・タバーロ(外套) Il tabarro

イル・タバーロ(外套) Il tabarro

昨年の夏には、プッチーニの一幕物オペラ三部作 (“Il trittico”) のひとつ、「イル・タバーロ(外套)」で猫好きのおばさんフルゴラを歌った。三部作の中では、アリア”O mio babbino caro” (「私のお父さん」)で知られる「ジャンニ・スキッキ」が最も有名。もうひとつの「修道女アンジェリカ」は、一幕でちょい役の修道女がわんさか登場するためか、音大等で上演されることが多いように思う。

さて、このフルゴラ、勉強し始めてみると、非常に歌いやすく、自分の声にとてもよく合っていて驚いた。私の苦手な音域に触れずにぐっと下がったり、持ち上げてもらうように上がったり。そう頻繁にあることではない。同じくプッチーニのスズキも合っていたが、「蝶々夫人」でスズキを歌いたいメゾに比べ、「外套」でフルゴラを歌いたいメゾの幅はぐっと狭まるはず。そして、スズキにはアリアがないが、フルゴラのアリアは見せ所満載だ。「セビリアの理髪師」のベルタも見せ場はあるものの、一曲歌うのに2時間近く待つのに対し、これは一時間近くでスピーディーに物語が展開するので、忙しい私には大変ありがたい。何だか得した気分だった。

リハーサルが始まると、冒頭から繰り返し流れる物憂いテーマに始まり、心を揺さぶる波の音、船乗りの掛け声にセーヌ河畔の流しやお針子さんの黄色い声など、背景の音楽の美しさにこれまた感激した。ストーリーも、はしけ船の老船長ミケーレ(と言ってもまだ50歳!)が若い妻ジョルジェッタに愛されなくなったことを嘆き、妻は妻で行き場のない思いに苦しみ、と、リハーサルの度に涙が出てしまう。本当です。

船乗りタルパの妻であるフルゴラは、ガラクタ収集癖のあるおばさんで、夫と猫をこよなく愛している。やはりたったの50歳なのに、タルパとは「じいさん」、「ばあさん」と呼び合い、早く船の生活を終えて、夫と猫と小さな家で死を迎えたいと、暗い夢を語っている。

設定は1910年のパリ。この時代と場所において、50歳という年齢はどういう意味を持っていたのだろう。江戸時代なら平均寿命がそれくらいだったらしいから、「もういつどうなっても。。」というのも分かる。だが、それにしては、ミケーレはジョルジェッタの浮気相手を刺し殺すし、フルゴラも夫にマッサージしてあげたことを官能的な手つきで嬉々として語るなど、どちらも案外元気である。

録画を見ると、フルゴラはたいてい狂った老女として演じられているようだが、私にはそうは思えなかった。夫と猫を愛し、性的な興味もあるようだし、常軌を逸した言動からふと正気に戻り、深みのある発言もする。エキセントリックではあるものの、この揺れの大きさ、孤独感も含め、現代の中年女性と何ら変わらないのではないか。

2007年には、ブルックリンを拠点とするVertical Players Repertoryが廃船となったタンカーをステージにこのオペラを上演した。何というアイデア!いつか再演してくれないものか。。。

セビリアの理髪師 Il barbiere di Siviglia

セビリアの理髪師 Il barbiere di Siviglia

2014年の終わりには、ロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」で女中のベルタを歌った。翌月に「蝶々夫人」でスズキを歌うことになっており、女中役が続くが、「ベルタはおいしいよ」「もうけ役だよ」とも言われていたので、挑戦してみることにした。

ベルタはメゾソプラノと書かれていることもあるが、私にはソプラノ役としか思えず、アリアはA、コーラスではCまで上がり、かなり音域が高かった。メゾでもCやDまで出すことは頻繁にあるものの、高音でホールドせず、シュッと上がってはサッと自分の陣地まで下がる感じで、少々違いがある。逆に、メゾ役のロジーナをソプラノが歌うこともあり、その場合、アリアはソプラノ版を使い、コーラスはロジーナがソプラノ、ベルタがメゾと、入れ替えて歌うことになる。

「セビリアの理髪師」は、あまりにも有名な前奏曲に、これまた有名なフィガロのアリア”Largo al factotum”(「町の何でも屋に」)、さらにロジーナの”Una voce poo fa”(「今の歌声は」)と、オペラに馴染みがない人にも聞き覚えのあるメロディーが目白押しで(聞けば分かります)、娯楽的要素が非常に高い。また、ストーリーは極めて軽く、ペラッペラに薄いため、このオペラを観劇する際には、事前にあらすじをよく読み、「笑いどころ」を押さえておくのが賢明かもしれない。オペラも歌舞伎や落語と同じで笑う箇所が決まっており、本当に可笑しいかどうかに関係なく、「ほっほっ」と小さく笑うのが通のたしなみのようだ。

バルトロ邸の召使、ベルタは風邪をひいているのか、やたらとくしゃみをする。一方、同じく召使のアンブロージョはあくびばかりしており、この召使コンビがくしゃみとあくびの掛け合いをする。アメリカのコメディ、「三ばか大将」とか、落語の間とか、そういうセンスが求められる。くしゃみやあくびには旋律がないため、音楽に合わせてタイミング良くくしゃみをするのは大変難しかった。このあくびとくしゃみの場面は省略されることが多いそうで、残念だ。(後記:このくしゃみとあくびはフィガロの仕業によるものらしい。)

ベルタは酸いも甘いもかみ分けたおばさんだが、滑稽な中にも孤独やしんみり感を垣間見せるところもあり、そこが「儲け役」と言われる所以だろうか。

物語としては、「セビリアの理髪師」の続編がモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」となる。登場人物が重複しているため、あれ?と思った向きもあるだろう。アルマヴィーヴァ伯爵にいろいろと入れ知恵をする理髪師(何でも屋)フィガロが後に結婚する話が「フィガロの結婚」である。周知のこととは思うけれど。オペラを語る上で、どちらも決して外せない作品だ。